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ロミオとジュリエット (絵画) : ウィキペディア日本語版
ロミオとジュリエット (絵画)

ロミオとジュリエット』(Romeo and Juliet: the Tomb Scene)は、ジョセフ・ライトによって1790年に完成された絵画作品。1790年と1791年に展示され、1839年に職工講習所で開催されたダービー展覧会にも出展された。現在はダービー博物館・美術館に陳列されている。この作品には夜間とろうそくを描くライトの優れた技術が表れている。描かれているのはシェイクスピア戯曲ロミオとジュリエット』の一場面で、ロミオの亡骸のそばで跪いているジュリエットが足音が近づくのを聞き、自ら命を絶とうと短剣を引きぬく瞬間である。対応する台詞は「ああ、物音が? 急がないと。 おお、ありがたい 短剣が。 これがお前の鞘。そこで錆びて、私を死なせて。」("Yea, noise? Then I'll be brief. O happy dagger!")。
== 来歴 ==
1776年の12月に「墓で目覚めるジュリエット」の場面を描く提案がライトからに持ちかけられた。ボイデル・シェイクスピア・ギャラリーを所有していたボイデルはこの提案を受け入れたが、この作品が原因で両者は争うことになった。ボイデルは取引のあった画家たちに二つの等級をつけていて、ライトは自分が下等に分類されていることに気づいた。この作品に対しては300ポンドが支払われる予定であったが、他の画家の中には1000ポンドを支払われている者もいることを知ったライトは憤慨した。この取引にライトが不服を唱えたのは、金銭的なものよりも自分の評判が傷つけられるということが大きかった。
ボイデルはこの点に関して強情で、既にこの作品は完成していた上に、ライトがシェイクスピアの場面を描いた他の二作品『テンペスト』(現在は紛失)・より穏やかな嵐の場面を描いた『冬物語』を所有していたにも関わらずライトとの取引を打ち切った。このため、ボイデル・シェイクスピア・ギャラリーのために制作されたこれら三作品のうち最も優れていると考えられる『ロミオとジュリエット』はライトの手元に残ることとなった。ライトの代わりにが9×11フィートのロミオとジュリエットの墓地でのシーンを描くことになったのには、他の理由があるとも言われる〔。ノースコートの作品は、シェイクスピア・ギャラリーの観覧客には非常に好評であった〔James Northcote, A Monument Belonging to the Capulets (1789) , Shakespeare Illustrated, accessed March 2011〕。
1790年になってこの作品はロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで展示されたが、到着が遅れ粗雑に展示されたためにライトが満足することはなかった。ロイヤル・アカデミーに冷遇されたと感じ取ったライトは、の展示会に喜んで5作品を出展した〔'Candidates for fame': the Society of Artists of Great Britain, 1760-1791 , Matthew Hargraves, Yale University Press, 2005, 244 pages, accessed March 2011〕。翌年の出展前にライトは作品に再び手を加えたが、それでもこの作品が売れることはなかった〔Modes, Derby Museum Catalogue, accessed March 2011〕。この作品は、ダービーの職工講習所でも展示されたことが分かっている。が1839年の展覧会を描いた作品にも、当作品が描かれている。レイナーの作品から確認できる展示品の多くはの収集品であったと考えられている。この中ではダービー博物館の初期の収蔵品となった物も多いが、ライトの『ロミオとジュリエット』が同博物館の展示品に加わるまでには幾年もの年月を経ることになった。
ライトとボイデルの論戦の結果ライトの元に留まったこの作品は1801年にはクリスティーズ1810年にはダービーで売りに出されたが、買い手はつかなかった。初めて売却に成功したのはライトの遺言執行者であり、1883年から1981年に33,250ポンドでダービー博物館・美術館に売却されるまではオーク家に所有された〔Romeo and Juliet by Joseph Wright , Artfund, accessed March 2011〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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